生きることに積極的になれない

ラジオ体操をやってみる

外にでたいと思えない。
人と会いたいと思えない。

でも、このまま身体が衰えていくのは困る。

それで、今日からラジオ体操をやってみようと思います。
何か一つでいいので目標を決めてみようと思いました。

失敗してもいいんだよ、と自分に言い聞かせてっと。

http://muscle-oyaji.com/blog/?p=196

分からないことの方がきっと多い

うつ病になる前から、「なんでだろう?」とよく考える癖があった。

病気になって、
「なんで自分は生きているんだろう」とか
「なんで死んでしまいたいと思ってしまうんだろう」とか
時間が驚くほどあるから、わたしは「分からない領域」に足を踏み込みまくっている。

そんなこと、分かるはずなんてないけれど、考えてしまう。

分かるはずなんてないのに、分からないと、悲しくなって、死にたくなる。

でも、どんな偉大な人たちだって「そんなこと分からねぇよ」と生きている。

分かっているのは「今日も命が与えられている」ってこと。だけなのかな。

他にも、自分の気持ちの動きとか、人の感情の流れとか、全然分からない。

どうしたら自分が嬉しいのか、分からない。
多分、やってみなきゃ分からない。

こうした方がいいんじゃないかってやってみるけれど、上手くいかないことばっかりなんだ。

最初から「わかっていること」なんて、きっとほとんどない。

最初から「わかっていること」ってのは、きっと「わたしが今生きているってことと、あなたが今生きているってこと」。

たったそれだけなんだと思う。

たったそれだけの事実の中で、わたしたちは生きていく。

自分を信じて。

わたしは神を信じる自分を信じて。



わたしがイマ恐れていること

饒舌になる時は、決まってその場で負けていると感じる時だ。
ムスっとなる時は、決まってその場で受け入れられていないと感じる時だ。

以前飼っていたペットはとても凶暴で、小さなころ、何度も噛まれて今でも痕が残っている。

そのペットは多分、かなり寂しがりやで、私たちに愛されたかったんだと思う。

そんなペットをイマ思い出して、自分と重ねてみている。


病気になってから、
「1度でも受け入れてもらえた」と感じられた人になら会える。
だけど、病気になってから
「会ったことがない人」には会うのがとてつもなく怖い。


まさにイマ、弟の友だちというのは、それにあたるのだ。

それで、わたしは、動けずにいて、怯えている。


じゃぁ、わたしはいったい何に怯えているんだろう。

たぶん、「仕事は?」とか「最近どうですか?」の一言を恐れているのだと思う。

そういわれて、何も言い返せない自分が目に見えているからだ。

いや、「◯◯の仕事をしてます」とか「仕事が終わってのんびりしてます」という普通の言葉を言えない自分を「みじめ」に感じるからだと思う。


わたしは、自分を恥ずかしいと思っている。

多分、わたしを造られた神様は、
わたしを全く「恥ずかしい」だなんて思っていないと思う。

そう1センチたりとも「恥ずかしい」だなんて思っていない。

たとえ、誰かが「恥ずかしいやつだ」と思っても、
たとえ、自分が「役に立たないやつだ」と思っても、
この世界を造られた神様は、わたしを「愛している」と言ってくれている。

そういえば、「愛している」っていう言葉が信じられなくなってしまった。

以前「愛している」と言った人も、わたしを簡単に見捨てるし、同じ様にわたしも人を見捨ててきた過去があるからだ。


「愛している」とはいったい何なんだろうか。

愛しているとは、わたしの言葉に置き換えると、「とても大切に思っている」。

神様の愛ってのは、人間みたいに一時的なものじゃなくて永続的なもの。

神様は、わたしを「とても大切に思い続けてくれている」のだ。

こんなふうになってしまったとしても、
傲慢で自分の力に頼り切っていたとしても、
同じ様にとても大切に思ってくださっている。

そこに、返っていこう。

もっといえば、この2013年の最後の日に、
わたしは本当に神様の元に引き上げられたいと切に願っている。

もう死にたいのだ。生きていたくないのだ。

でも、2014年も命が続くとしたら、
この永遠の愛を信じて、生きていくしか道はないのだろう。





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