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7月, 2015の投稿を表示しています

趣味の数だけ逃げ道ができる〜山に登ってきました〜

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山へ登ってまいりました。 去年の9月末に友だちに連れて行ってもらってから 山への憧れが強くでてきました。 以前までは、 1日を山のためだけに使うことを「もったいない」としか思えなかったのですが、がらりと価値観が変わってきたようです。 医者に言われたことは「趣味をするように」でした うつ病を発症した2013年の秋。 わたしには、もう仕事しか残っていませんでした。 その仕事さえも取りされてしまって、 心療内科で医者に言われたことは「趣味をするように」でした。 高校の時から続けていたカメラが唯一の趣味でした。 よし、と思い切って外にでかけ、何枚かシャッターを切るのですが、思うように撮れない。何度も何度もシャッターを切るのですが、その度にうまくいかない自分への絶望感が心の中で広がっていくようでした。 大学の入学祝いにと父が買ってくれたカメラ。 部屋に置いてあるだけで、「お前は仕事もできないし、友達からも見捨てられ、唯一の趣味だって満足にできないダメな人間だ」という無音のメッセージを受け取ってしまうのに耐えきれなくなって、ついに売ってしまいました。 その時の日記は こちら です。 (面白いです、はげしく現実逃避している明るい記事になってますね笑) 趣味を本気でやりすぎる そんな唯一の趣味さえ満足にできなかったわたし。 問題だったのは「うまくできないこと」ではありませんでした。 その時のわたしの問題は「完璧主義的な思考」でした。 写真は顕著にあらわれていたと思います。 高校時代からずっと続けていて、大学のときには展示会まで開いていた写真。 なので、もともとの自分に求めるハードルがとーーっても高くなってるのです。 そのハードルを越えられない限り満足できない。 どころか、できない自分を責めに責めてしまうという有様。 「趣味」とは本来なんでしょうか? デジタル大辞泉によると、      1 仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。 仕事や職業のように間違ってはいけない、失敗してはいけない、常に高いレベルを保っていなければいけない、評価されるようなものでなければいけないというものではないということです。 大事なのは「楽しい」と感じられているか

過剰適応がわたしをうつ病にした 〜3回目のカウンセリング〜 <過去記事更新>

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こんにちは。 いつもお読みくださりありがとうございます。 今日は、過去の記事を更新いたしました。 ↓ ↓ ↓ こちらです ↓ ↓ ↓ 2013-12-14 過剰適応がわたしをうつ病にした。〜3回目のカウンセリング〜 こちらは病院を変えて、3度目のカウンセリング。 ちなみに、 1度目のことは記録していません。 また、詳しく思い出して書こうと思います。 二度目は  こちら 2度目のカウンセリングは、まだまだ慣れず、かなり気を張っていた様子が出ています。 「申し訳ない病」にかかってることに気づいていますね。 今回は「後日日記」をつけてみました! いまの自分が振り返って客観的思うことを付け足しています。 よろしければどうぞ! お読みくださりありがとうございます。 ランキングに参加しています。応援してくださる方、クリックおねがいします♬ にほんブログ村

たったひとつの椅子にしがみついてませんか?ー24回目の心療内科ー

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大きな台風も過ぎ去って、 ジメジメと暑い日々が続きそうですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。 先日、心療内科へ行ってまいりました 初のカウンセリングなしの心療内科でした。 薬物療法をしていなかったわたしなので一概には言えませんが、 カウンセリングが主な治療方法だったので、少なからず「不安」がありました。 "薬断ち"をされる方の多くは、何かしら影響を受けてしまうもの。 "カウンセリング断ち"をするにあたって、どんな影響があるのだろうか・・・ "カウンセリング断ち"をした1ヶ月 結論から言いますと「安定」でした。 医師との診察の中では、 事細かに様子を聞いていただきましたが、 ・睡眠、食事の面は◎ ・精神面は◯時々△(ホルモンバランスの乱れによって) ・仕事の面は◯ ・家族の面は◯ ・前の仕事関係は相変わらず× ネックは前の仕事関係 具体的には、前の仕事関係の建物や人、イベント、話題などに近づくと調子が悪くなってしまいます。 (それなら離れればいいじゃんと思うかもしれませんが、わたしにとって本当に大切なものなのでこれからも大切にしたいと思うのです) うつ病がひどかった時期は(2013年末〜2014年夏前頃の約半年) 「前の仕事に戻れなければ人生終わり」 と思っていたので、 ここが一向に改善されていかない現実に疲弊していました。 去年の夏頃から、 前の仕事にしかスポットを当てられなかった小さな視野が、次第に他の方へ向けられていきました。 土地を離れたり、本の世界へ飛び込んだり、運動をしたり、前の仕事についてあえて考えないように取り組んでいくうちに、すこしずつ病気が改善されていきました。 いまは、新しい仕事(アルバイト)も与えられていて、すこしずつ自信がつき、前の仕事関係に関われない自分を 「それでも良し」 と思えるよう変えられてきました。 もちろん、100%すっきり〜とはいきませんよね。 夜中にふと思い出して泣けてくることもあります。 前の仕事関係の友人のちょっとした一言に傷ついてしまうこともあります。 椅子をすこしずつ増やしていく 最近は、前の職場にあまり支配されなくなったように思います。 今まで自分の 心の王

上司に「ざらつく一言」いわれました。〜境界線の引き方〜

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http://mdpr.jp/column/detail/1374743 こんにちは、風があまりにも強くて、ふっと笑ってしまうImaIkuです。 前回の記事は思ったよりも反響がございまして、大変嬉しく思っています。 「楽な 方をえらぶ」というのは、簡単そうで難しいこと。 馬鹿正直で生真面目タイプさんには特に。 そういう方、ぜひ、一緒に「楽な方をえらぶ生き方」を練習していきましょう。 皆さんの葛藤や体験もぜひ教えてくださいね。  ざらつく一言 さて、今日は「ざらつく一言」というテーマです。 きっと、あの人にとってはどうってことないたった一言なのに、 どうしても心に残ってしまって苦しい。 文脈から考えるとそこまで思い詰める必要のない一言なのに、 どうしてもその言葉が頭の中でリフレインされて気持ちわるい。 こんなこと、皆さんはありませんか? わたしはとってもよくあります。笑 特にうつ病がひどい時はよくありすぎて、そのたった一言が引き金となってうつの症状がひどくなることも多々ありました。 今日の上司からの一言 実は、先日、会社の同期の方々4人で女子会を開きました。 3人はわたしと同じパート・アルバイトの方。 1人は新卒の子。 たまたまの流れで4人でランチをしたのです。 これは結構楽しかったのですが・・・ それからもう10日以上も経った今日、女性上司から電話が! 「パートの子たちとご飯行ったの?」 「あ、はい行きました。」 「休みの日だったの?」 「はい、そうですが・・・」 「他のパートの◯◯さんや△△さんには声かけたの?」 「いや、かけてませんが」 「それってどうなのかな?」 「え、どういうことですか?」 「もし、ImaIkuさんが同じ立場だったら誘われなかった・・・って思わない?」 「誘われなかったとは思いますが、別に全員に声かけなきゃとは思わなかったです。」 「まぁ人それぞれ感じ方は違うからね。ごめんね、仕事終わりに、お疲れ様です。」 ほんと先ほどの電話だったのですが、 なんだかまだ悶々としちゃってます・・・。 いま、悶々引きずってます こういうのを「聞き流す」のがとっても苦手なタイプです。 どちらかというと優等生タイプ。学級委員長タイプ。

「すごい順調」には秘訣があった〜うつ病1年半で会得した求めすぎない生き方〜

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はじめに こんなにも不定期なブログに、足を運んでくださっている方がいらっしゃること。 とてもとても感謝なわけでございます。 いつもありがとうございます。 最近をひとことで言い表すと 「すごい順調」 です。 ブログをはじめて約1年半。 まさか、こんな言葉を口に出す日がやってくるとは・・・。。 神様は思いもよらないお方です。 神様は思いもよらない・・・とは、 思っていた通りの回復ではない ということです。 わたしの思い描いていた回復のカタチ http://www.slideshare.net/bwhite/303-week-1-beginning-your-project-again   わたしが思い描いていた理想の回復とは、 1、正社員として社会に貢献すること 2、家族や友人と良好な関係性を持つこと 3、理想的な異性と出会い、結婚し、幸せな家庭を築くこと 教科書どおりのような自己像を想像していたわけです。 うつ病になってしまい、休職し、退職し、無職になってしまったこと。 カウンセリングを通して、すこしずつ自分の気持ちに正直になればなるほど、家族への憎しみが湧いてきてしまったこと。 うつ病急性期の頃は人の会うことが恐怖で、外に出られなかったこと。 思いを寄せていた異性から距離を取られてしまったこと。 すべて自分の理想からかけ離れていく「現実」がそこにはありました。 このことを強烈に意識しているときはどん底状態でした。 だ・け・ど 「いま、「すごい順調」ってことは、なんだかんだで123を手に入れたの?」 と思われるかもしれませんが、 いまのわたしは1も2も3も手に入っていません。 ですが、とても順調なのです。 「理想的な自分」を手にいれることが回復ではなかった わたしがこの1年半の療養生活の中で、教えられた大きなこと。 それは 「理想的な自分になったからと言って完璧な幸せは手に入れられない」 ということです。 これに気づいた大きなキッカケは、   社会人1年目のことを振り返るとき にありました。  社会人1年目、約半年でうつ病発症。 そのガムシャラに働いたわたしの生活は、 客観的に見ると1も2も3も手に入っていました。 ですが、 いつだって「足り