趣味の数だけ逃げ道ができる〜山に登ってきました〜
山へ登ってまいりました。 去年の9月末に友だちに連れて行ってもらってから 山への憧れが強くでてきました。 以前までは、 1日を山のためだけに使うことを「もったいない」としか思えなかったのですが、がらりと価値観が変わってきたようです。 医者に言われたことは「趣味をするように」でした うつ病を発症した2013年の秋。 わたしには、もう仕事しか残っていませんでした。 その仕事さえも取りされてしまって、 心療内科で医者に言われたことは「趣味をするように」でした。 高校の時から続けていたカメラが唯一の趣味でした。 よし、と思い切って外にでかけ、何枚かシャッターを切るのですが、思うように撮れない。何度も何度もシャッターを切るのですが、その度にうまくいかない自分への絶望感が心の中で広がっていくようでした。 大学の入学祝いにと父が買ってくれたカメラ。 部屋に置いてあるだけで、「お前は仕事もできないし、友達からも見捨てられ、唯一の趣味だって満足にできないダメな人間だ」という無音のメッセージを受け取ってしまうのに耐えきれなくなって、ついに売ってしまいました。 その時の日記は こちら です。 (面白いです、はげしく現実逃避している明るい記事になってますね笑) 趣味を本気でやりすぎる そんな唯一の趣味さえ満足にできなかったわたし。 問題だったのは「うまくできないこと」ではありませんでした。 その時のわたしの問題は「完璧主義的な思考」でした。 写真は顕著にあらわれていたと思います。 高校時代からずっと続けていて、大学のときには展示会まで開いていた写真。 なので、もともとの自分に求めるハードルがとーーっても高くなってるのです。 そのハードルを越えられない限り満足できない。 どころか、できない自分を責めに責めてしまうという有様。 「趣味」とは本来なんでしょうか? デジタル大辞泉によると、 1 仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。 仕事や職業のように間違ってはいけない、失敗してはいけない、常に高いレベルを保っていなければいけない、評価されるようなものでなければいけないというものではないということです。 大事なのは「楽しい」と感じられているか