心療内科に行くと苦しいけれど、前に進める。

心療内科でのわたし

明日は2週間ぶりの心療内科だ。

先週は終わった後、とても心がざわついた。

医師と臨床心理士の言葉や態度に、
いちいち傷ついたり、励まされたりしたからである。

やっぱり、心の奥底の部分を掘り出して話す分、受けるダメージは大きいと思う。

それでも、明日病院に出向くのは、
先生たちの一言でわたしの人生は少しずつ進んでいるという確信があるからだ。

「頑張ってみてもいいんじゃない。」
「ちょっと焦りすぎだねぇ。」
「まだ、まだ、ゆっくりしてなさい。」

そんな小さな一言だけれど、不思議とするりと心に入り、わたしのその後の歩みに染みわたっている。

それはきっと、
心に積もった不安をそのままそっくり話すことができて、
それを先生たちはどしんと構えて受け止めてくれたからだと思う。

心療内科に行って気付いたけれど、私には「自分の心に積もった不安をそのままそっくり話す人」がいない。
信頼している家族も親友も友だちも上司もいるけれど、私はその人たちに1番悲しいことを話すことができない。

多くの人がそうだろうか。

「こんなにもストレートに言ってしまったら、重すぎるんじゃないか…」
「これ以上いったら泣けてきてしまう…」
「これ以上言うことは正しくないこと…」

我慢して気を遣って人に話してきたと思う。
そんなふうだから、意見されると「何も分かってないくせに」と心のどこかで思ってしまってどっと疲れる。そりゃ悪循環だ。

そういう私にとって、心療内科とは不安をそっくりそのままぶつけて良い場所
カウンセリングルームで毎回泣いてしまっているのが、その証拠だと思う。


明日はどんな話を先生に話すんだろう。

その場にいって、先生に素直に話していく内に、いつの間にか口走っていることがある。

それが、自分でも自覚してなかった一番悲しいことだったりする。



前回のカウンセリングでは、
「家庭でも仕事場でも友人の間でも良い人でなければならないと思った」と口走ったとき、号泣していた。

その前は木の絵を書いて、「あなたが木だったらどんな気持ち?」と聞かれた時、「木だったらいいな」って言ったとき、喉の奥が熱くなって涙が止まらなくなった。

私は木のようにブレない人間でありたいと思っていて、私は良い人であることに疲れていたと初めて知った。自分のことを知る機会になった。

人と関わるから、もちろん苦しくなったり、悲しくなったり、傷ついたりするんだけれど、必ず得られるものがある。と思うから、わたしは明日も心療内科に行くんだと思う。


傷つかないで前になんて進めない。

傷つきながら、また癒されながら、前に進んでいくんだなぁ。




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